『赤い花』 深夜、午前3時、空港に直結しているホテルの一室にて。 間接照明によって照らされる室内。 美しい夜景の見える窓にかかったグレーのカーテンは、 照明の灯りを受け、橙色に染まっている。 2つ並んだベッドのうちの窓際の方に、僕は横になっている。 糊付けされたシーツが心地よい。しかし不思議と、眠くはならない。 さっきまで一緒に、言葉少なに酒を飲んでいた女は、 袖のないタイトな赤いワンピースに細い身を包み、 主人の体の上で眠る猫のように、僕のワイシャツにへばりついている。 しみひとつない天井を見つめながら、僕は女に打ち明ける。 「最近、悲しい想像に沈むことがあるんだ」 女は、僕の胸に両手と片耳を当てて、鼓動の音を聞いている。 長い茶色の髪が、女の肩先から、綺麗なラインを描いて散らばっている。 「自分の葬式で、誰も泣いてくれない、そんな想像だよ。 いや、泣いてはくれるのさ。 誰かしら、情にもろい誰かしらが、泣いてくれるんだ。 けれど、誰も、深く悲しんでくれはしないんだ」 女は何も言わない。寝てしまったのか、と思い、頭だけ起こすと、 女はその長い睫毛の先にはりつめた空気をまとい、宙の一点を見つめていた。 女の、何度めかのまばたき。何かを象徴するように、ゆっくりとした、まばたき。 「何を考えているの?」 僕は聞いた。 女は静かに笑って、ワイシャツから耳を離すと、僕を見上げた。 「絶望について、考えていたのよ」 「絶望?」 「これは、想像にすぎないかもしれないんだけれど、 ほんとうの絶望ってね、どこまでいっても、終わらないことなのよ」 女は何かを祈るように、軽く手を組み、その上に顎をのせた。 「何が終わらないかというとね」 女はふっと口をつぐむ。 そして、しばらくした後、息を潜めて、囁くように僕に告げる。 「人々がみんな、赤い花を投げるの」 「赤い花?」 「私のお葬式で、私の死を喜んで、赤い花を投げるの。 誰が一番高く投げられるか、競い合いながら」 女は手をのばして、僕のネクタイを軽くひっぱる。 白い指に映える赤いマニキュアの美しさに、思わず僕は目を細める。 「葬式で、誰も泣いてくれないことが、希望に思えてくるでしょう? それが、絶望なのよ。絶望は、繰り返されるのよ」 ネクタイをひっぱる手に、女は少しだけ力をこめた。 しかし、それは僕が苦しいと思うほどではない。 「どこまでも、どこまででもいけるの。 どこまいっても、どこまでいっても、それは終わらないの」 ふと、女の笑顔が消える。 口の端を歪めていない女は、淋しげに見える。 女は僕の上で服を着たまま寝てしまう。 僕は、女のひどく小さな頭に手を置き、少女のような髪をなでる。 手を伸ばしてカーテンを開け、窓の外を見た。空が、徐々に白み始めている。 もうすぐ、夜が明ける。 もどる 2007.1.29 公開 2007 Copyright(C)ritu,all rights reserved.