『鳩』 渋谷の飯は相変わらず旨い。しかし、ぶくぶく太ることが難点だ。病気も恐い。 俺はそろそろ何処か静かな公園にでも隠居して、人間たちがいたずらに振舞って くれるご馳走を食べて暮らしを立てようかと、そんなことを考えているわけだ。 朝、学生どもが喚く通りを抜けて、人通りの少ない道の上に零れ落ちている 細々とした飯をむさぼる。それが終わると、ぶらぶらと散歩をし、その後、 「ご馳走場」と呼ばれている場所にて、カラス連中の残したはしくれを食べる。 時代が変わるにつれて、ずいぶんと楽な生活になったものだ。 なお、俺たちにとってのご馳走場は人間に言わせればゴミ捨て場らしい。 人間とはなんて贅沢な生き物だろうか。 道の間にはさまった飯を盛んにつついていると、小さな足音を耳にした。 この辺りは俺の縄張りだ。カラスならば俺は退くが、同族ならば許さない。 それは一羽の雀だった。なんだ、雀か。と俺は思う。雀ってやつは小さくて、 ちょこまかとしていて、うざったいことこの上ないのだが、別に害というほどの 害を与えてくる連中でもない。大勢がよってたかって来ている場合は別だが、 たった一羽だ。俺は、無視することに決めた。 が、その雀が、あまりにちょこまかと、俺の周りをハエのように動きまわる。 俺は耐え切れなくなって大声を出す。 「邪魔だチビ、失せろ」 チビの雀はちょこんと首を傾げて俺を見た。 「どうして譲る必要がありましょうか」 「ここは俺の縄張りで、お前は俺よりも弱い雀だからだ」 「私はあなたに負けて痛い目にあおうと、そんなことちっとも気にしませんよ。 いいじゃないですか、ここにいたって。それに私は食事を終えたら、すぐどきますから」 俺は無言で首をさげ、食事を再開した。『痛い目にあっても良い』? 俺はまた顔をあげ、同じように食い物をついばむ雀を見つめた。 傷を負った羽に気づく。もう空を飛べそうにない、痛々しい傷。 「お前、怪我してるのか」 「ええ、そうですね。このせいで日に日に弱っていっています」 俺は何も言わなかった。俺もいずれはこのように死ぬのだ。 そう思うと、自然と雀から目をそらしてしまう自分自身がいた。 「けれど、私には死ぬ前に夢があるんですよねぇ」 雀は独り言のような間延びした口調で続けた。 俺が何も言わないのを受けて、雀はさらに続けた。 「私はこの街で生まれ、この街で育ってきました。 だから私は一度、山に行ってみたいのです。山というものを、見るだけでもいい」 「どうやって」 「歩いていきます」 俺は絶句した。 「馬鹿か」 自分の体の小ささも、この町の大きさも混沌もわかった上でそれを言っているのか。 沈黙した雀に向かって、俺はせせら笑った。 「山にはでかいカラスがいるぞ。お前みたいなのは、一発で食われちまうよ」 「かまいませんよ」 雀は静かに言い放った。 「やめておけよ」 すると、雀は多少なりともむっとしたらしく、こう鳴いた。 「あなたはそこにずっと居たらいいんですよ」 俺は沈黙した。 「わたしはもっとどこか、とおく、美しいものを見に行きます」 雀の目線の先に、道があった。 俺たちが絶対に足を踏み入れない道。大勢の人間がうごめく、おぞましい大通り。 おいおい、お前、死にに行くっていうのか? あんなに人間が群生しているとこに、 お前みたいなチビがのこのこ歩いていって、生きていけるとでも思うのか。 「やめておけよ、チビ」 俺はもう一度、それだけを言った。 雀はこの場から去ろうとしていたが、俺を振り向くと、甲高い声で鳴いた。 「私がチビにうまれたのも、怪我をしたのも、私のせいではない。 だから今まで私は、自分が何故このような場所に立たされているのか、 思うたびに苦しく、不愉快でしょうがなかったのですよ。 けれど私の夢のために私が頑張って、その結果死ぬならば、それは全て私のせいです。 せめて最後くらい、理不尽な世界、その全てから解放されたいのです、私は」 雀はぴょこぴょこと、人間たちがうごめく方へ、歩いていく。 俺は雀を無視して、風に舞って飛んできたビニール袋をつつきはじめた。 けれど、顔をあげ、彼方へ消えゆく雀の後姿を見た。 勇敢という文字からかけはなれた、みすぼらしいその姿。 「あほう」 俺はカラスのような声でないた。 もどる 2007.1.28 公開 2007 Copyright(C)ritu,all rights reserved.