『川に紙を流す』 近所のドラッグストアでコピー用紙の束を買った。 ビニール袋を手に持ち、財布をジーンズのポケットにいれて、 僕はそのまま、川を目指して歩き始める。 「ねぇ」 一緒に買い物に来た従妹が、焦ったように声をかける。 「本当に川に行くつもりなの?冗談じゃなくて?」 従妹の吐く息は白く、彼女は寒さに震えている。 「帰っていいよ、僕ひとりで行くから」 「何のために私、ついて来たと思っているの? 本当に川に行くなら、ついて行く」 「入水自殺なんかしないよ」 「そんなのわかってるわよ。しないからこそ、ついていくの」 よくわからない道理を、平気で彼女は押し通そうとする。 その"よくわからなさ"が、或いはどんなに残酷なことであるか、 きっと彼女にはわかっちゃいないのだ。 川へと向かう急な石段を降りる。 一歩一歩、降りていくたびに、せせらぎの音がはっきりと聞こえてくる。 耳に心地よく響く、生まれ育った町の、聞きなれた川の音。 「重くないの?」 従妹が、小さな声で聞いてくる。 目線が、ビニール袋に注がれている。 「重くないよ」 「ねぇ、コピー用紙なんか買ってきて、どうするの?たき火?」 従妹は不安げな顔をしている。僕は答えない。 最後の石段を降りると、僕は紙の束をビニール袋から取り出す。 きょとんとしている従妹に、ビニール袋だけを手渡す。 「ちょっと、ゴミなんか渡さないでよ!」 従妹はふくれている。僕はちょっとだけ笑う。 ごつごつとした石の転がる川原へ出る。 コピー用紙の束を比較的小さな石の上に置く。 僕はしゃがみこむと、一番上の紙を、親指と人差し指を使ってめくり、 はしの方を持ったまま、流れのゆるやかな川へそっと落とす。 一枚、また一枚。僕は紙を、川へ流す。 「何してるの?」 従妹は怪訝そうな顔で僕を見た。 「橋をかけるんだ」 「それ、ただの環境破壊だよ」 嫌悪感の溢れる声で、彼女は言い放つと、何処かへ消えてしまった。 僕は顔に微笑みを浮かべて、川に紙を流し続ける。 ゆるやかな川の流れに、紙はしばらくの間、浮いたまま流されていく。 僕の頭の中に、鮮やかな想像が広がる。 浮いて、そのまま流れていけば、紙たちは、 海に辿り着けるはずもなく、何かにひっかかって止まるだろう。 みんな一斉に止まるだろう。 そして橋をかけるのだ。川に橋を。 「ばっかみたい」 従妹が帰ってきて、立ったまま僕を見下ろしている。 肩越しに振り向くと、彼女は目に涙が浮かべ、 何処か悔しそうな顔で僕を睨んでいる。 「すぐそこで、沈んでいたよ」 それでも僕は、紙を流すのを止めない。 僕の頭の中は、より一層鮮やかな、 新しい想像でいっぱいになる。 息ができない紙たちが、水の中で折り重なって 魚たちの寝床をつくるのだ。 死骸みたいになって、寝床をつくるのだ。 従妹のため息が聞こえた。彼女の吐く息は震えている。 冬の川原は寒いけれど、僕が震えることはない。 従妹は僕の気持ちを知らない。 僕も従妹の気持ちを知らない。 僕は川に紙を流す。 もどる 2007.1.31 公開 2007 Copyright(C)ritu,all rights reserved.