『葬列の影』


 青と緑のコントラストに、はっと息を呑む。
雲ひとつない空は澄みきって、無邪気に戯れる草花の群の上に深く深く広がっていた。
あまりの日差しの眩しさに、反射的に手をかざす。
礼服でいるには、あまりに暑い日のように思った。
「辻元」
 名前を呼ぶ声に振り向くと、屈託のない相変わらずの笑みを浮かべている城戸さんが居た。
「今日は暑いなぁ」
 城戸さんはハンカチで額の汗をぬぐう。
城戸さんの礼服は、必要以上に暑苦しく見える。
「そうですね」
 私は小さく同意した。けれど、他に上手い言葉が見つからなかった。

 必然的に沈黙がおとずれた。
照りつけるような陽差しの中、ゆったりとした空気があたりに流れていた。
空も地も、光を浴びて光を放っている。
それは直線的なはずなのに、やけにやわらかに広がっていく。
線とか点とか、面では表せないくらいに。

 私も城戸さんも、黙ったまま、目の前に広がる光の海を見つめ続けていた。
青い空、波打つ草原、遠くに見える山々の緑。
言葉なんて必要ないのだと感じた。

 かすかな風が草花をざわめかせる音が、耳元に戻ってきた頃。
「綺麗なところですね」
 私はゆっくりと言葉を発した。
城戸さんは何も言わなかった。
「きっと、大好きな場所だったんでしょうね」
 そばに、背の高い白い花が咲いていた。私はそっと、指先で触れる。
触れただけで、摘まなかった。ここにある花はすべて、少なくとも今は、
彼女のための花だとわかっていたからだ。
「そうやね」
 城戸さんはふっと微笑んだ。
「綺麗な海に骨を撒くって話は聞いたことあるけど
ただの野原に撒く聞いて、なんでやろ、そんなんいつ何時
家だのビルだの、建っちまうかわからへんのに、思うたよ」
 その言葉に、私も微笑んだ。
 そして、鞄の中から細かく砕かれた遺骨の入った袋を取り出し、
差し出された城戸さんの両手に、ぱらぱらと落とした。


 全部撒き終えて、後ろを振り返ると、既に城戸さんは自分の分を撒き終えていて、
先ほどの場所に戻って、草原を見渡していた。
どこか遠くを見るような目で、私の方を見ていた。

 私は何だか複雑な思いにかられて、早足に、半ば駆けるように城戸さんのもとに戻った。
そして、さっきと同じように隣に立ちつくす。
 さっきと何ら変わらない輝きが、色鮮やかに広がっていた。
少し違うことといえば、風が若干強くなったことだろうか。

 透明な風は空の青に溶け込み、そして草の緑に、彼の喪服に、溶け込んでいく。


 葬列の影

 二人しかいない、彼女のためだけのお葬式で、
私はそこに、葬列の影を見た。
 光が生み落とす、たくさんの影が、
色鮮やかに彼女を弔っている。
 世界のすべてが、彼女のために悲しんで、彼女のために微笑んで、
この場の総てを、輝かしいものにしているようだった。
 これ以上、何か口にすれば、すべてが崩壊してしまう気がした。

 たとえ、この場所が近い未来、どう変わってしまおうと、
彼女は今この瞬間の景色の中に、永遠に眠るのだ。
私と城戸さんの記憶の中で、永遠に眠るのだ。

 これ以上、この場所に居てはいけないように思えてきて、
私はくるりと後ろを向いた。
 草原が見えなくなるであろう曲がり角の辺りに、
小さなヒマワリが群れて咲いているのが見えた。
 城戸さんが、歩き出そうとした私に声をかけた。
「なぁ、辻元。手、繋いでもいいか?」
 私は驚いた。
「どうしたんですか、急に」
「なんか、さっきなぁ、一瞬
遺骨撒いてるお前が、あいつに見えたんや。
俺な、あいつ自身がこの鮮やかな空気の色に溶け込んで
今、この瞬間だけな、お前をあいつに近いものにしてる気がするねん。
もし、お前が良いなら、あいつの変わりに、俺に最後のお別れ、してくれるか?」
 私は、少し考えた後、できるだけ悲しげにうつらないように、やわらかく微笑んだ。
「あのヒマワリのところまでなら」

 城戸さんの手は、思ったよりずっと暖かかったけれど、
彼の淋しい気持ちや悲しい気持ちが、温度を通して伝わってくるような、そんな気がした。

 風にのって流れてくる、夏の草花の匂いをかいでいると、
もう夏も、きっと終わりに近いのだと思えてきた。
「あいつのこと、何もしらんかったけど」
 ひまわりまであとすこし、というところで城戸さんが呟いた。
「あいつは、おれにとって大事なやつやったんやなぁ」
 自分が泣きそうな顔をしていることに気付いて、私は、はた、と立ち止まった。
城戸さんが私の方を首を傾げてちらと見て、それから、空を仰いだ。
きっと、城戸さんも泣きそうな顔をしている。
 
 この曲がり角を曲がれば、もうきっと二度と会えない。
私はゆっくりと振り向いた。

 草原は、さっきと変わらぬようにそこにあった。
けれど、そこにあるのは、普通の草原だった。普通の青空だった。
 さっきまで色鮮やかだった世界が、急に色褪せてしまったように思って、
私は城戸さんの手を、より一層、ぎゅっと握り締めた。

 この世界は、彼女の思い出を封じ込めるために、
私の中で、今、きっと終わってしまうのだ。

 おさえこんでいたはずの感情が、一気にふきだして、
どうしようもなくなってしまった。涙が地に落ちるたびに、総てが色褪せていく。

 私は結局、ひまわりをすぎても、草原がまったく見えなくなっても、
城戸さんの手を離すことができなかった。



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2007.1.28 修正、加筆後、再公開
2006.5.27 ブログ上にて公開

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